二人目が欲しいという強い思いを胸に挑んだ凍結胚移植でしたが、あえなく撃沈してしまいました(T_T)
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良好胚移植と不正出血
妊娠判定検査で「陰性」と出たのは、2011年3月7日のこと。
ドクターには、もし次も移植を考えているのであれば、4月の生理が来たら来院するようにと言われました。
もちろん移植希望だったので、クリニックには行くつもりでいました。
しかしこの陰性判定の4日後、あの東日本大震災が起きてしまうのです。
自然災害と環境汚染
あの日の私は、妊娠出来なかったというどこにも持っていき場のない不安定な気持ちをグッと胸の奥深くに押し込み、2歳の娘をお昼寝させるために、絵本の読み聞かせをしていました。
それがかえって娘の目を冴えさせてしまったのか、なかなか眠ってくれず、
「まったく…」
と小言を言っている最中だったことを覚えています。
今まで感じたことのない激しい揺れに、ただただ娘を抱き伏せることしか出来ませんでした。
私が当時住んでいた場所は、震源地からはだいぶ離れた山深い所だったので、被害は2階の本棚の本が崩れ落ちる程度で済んだのですが、それでもあの延々に続くのではないかと思うような大きな揺れには、命の危機を感じるほどでした。
あの日あの時、皆さんはどこで何をしていましたか?
朝当たり前に仕事に出掛けていった家族とまったく連絡が取れなくなり、無事かどうかを確かめることも出来ない。
テレビをつけると原発が水素爆発を起こした目を疑うような光景。
そして大津波が太平洋岸にものすごい勢いで押し寄せてくる上空からの映像。
必死に逃げる車の様子をただただ 見守ることしか出来ない無力感…。
きっと多くの人が不安と孤独感でいっぱいだったことでしょう。
放射能汚染と妊婦
原発の爆発によって大量に飛び散った放射能は、妊婦さんや子供のいる家庭には大きな脅威となりました。
私の妹も妊娠初期でしたので、当時はより放射能汚染の低い場所へということで、狭い我がアパートに避難してきていました。
もしあの地震がなかったとしたら、姉として妹の妊娠を素直に喜んであげられていただろうか?と時々考えることがあります。
おそらく無理だったんじゃないかと思います。
この世の不公平さをいつまでもグダグダと考えてカリカリしていたことでしょう。
地震で失われた多くの命や放射能汚染の現状を前に、2回目の移植のことなど考える気にもなれませんでした。
おそらく母体となる私の身体だって低線量被爆をしているはずで、そんな身体に受精卵を戻し、見事着床してくれたとしても、私は適切な栄養分を与えることが出来ないかもしれないのです。
当時はまだ放射能検査の体制も整っていなかったので、食品の安全だって保証されていませんでした。
しかし、やがて時が経ち、少し心も落ち着いてくると、また治療を再開したいという気持ちが芽生えて来ました。
その事を夫に言うと、
「不安だ。まだ早いと思う」
という返事。
それは私も少なからず感じていたことだったので、強くは言い返せませんでした。
結局1回目の移植から7ヶ月程経った頃、ドクターに聞いてみて「大丈夫」ということであれば、治療を再開しようということになりました。
2回目の移植を決意して
2011年10月19日、クリニックを訪れました。
「この放射能汚染の状況下でも、子供を生み育てることは大丈夫なのでしょうか?」
おそらく他の患者さんにも何度となく尋ねられていたのでしょう。
いつもはちょっと辛辣だな、という返事しかしてくれないドクターだったのですが、やけに思慮深い様子で言いました。
「個人的には大丈夫だと思います」
専門家が大丈夫だと言ったのだからきっと大丈夫…。
ホッとして、こわばっていた肩の辺りがスッと軽くなっていくのが分かりました。
胚移植をしたい旨を伝え、2回目のスケジュールを立ててもらいました。
この日はプラノバール、ブセレキュア点鼻薬、エストラーナテープを処方され、クリニックを後にしました。
一人で抱え込まないことの大切さ
11月2日には妊娠準備としてインフルエンザ予防接種をしました。
11月14日からブセレキュア点鼻薬開始。
11月27日からはエストラーナテープの貼り付けが開始されました。
そして月が替わって12月9日、移植前の確認がありましたが、特にクリニック側から深い話はありませんでした。
翌日10日、ブセレキュア点鼻薬終了。
翌11日、ホルモン注射を打ちに行き、その足で片道1時間半かかる私の実家に行き、治療のことや協力してほしい旨を伝えて来ました。
実は治療をしていることはそれとなく話していたのですが、改まって話をしたことがなかったので、一人目の時も今回の二人目の挑戦も、私の母親は内容をよく理解しておらず、全身麻酔で採卵したことなどを知って、驚きを隠せない様子でした。
私の悪いところなのですが、あれやこれやと聞かれるのがわずらわしく、1から説明したり問いかけに答えたりということをするくらいなら、別に黙っていてもいいか、という中途半端な対応をしていました。
だから私の母親は、治療をしていると聞いても、まさか手術台に登って麻酔やら点滴やらというところまでは考えが及ばなかったらしく、薬とか注射程度の治療だと思っていたようです。
「なんでちゃんと説明しなかったの!?」
と半分叱られましたが、半分は、そういうことなら…とサポートしてくれることを約束してくれました。
わずらわしいからと、これまでずっと説明を怠って来ましたが、ちゃんと向き合って話をしたら、なぜかスーっと心が軽くなっていくのが分かりました。
そして気付いたのです。
私は孤独だったのだということに…。
夫とは治療の辛さ、今後の展望などよく話し合いましたが、やはり当事者同士なので何とも消化しきれないものが残って、心が晴れないことがありました。
今なら、何を自分一人で抱え込んでいたのだろうと思うのですが、当時は、子供が出来ない理由とか治療がどれだけ辛いものなのかとか、そういうことを親にさえ知られたくないという変なプライドがありました。
移植当日
12月15日、2回目の凍結胚移植の日です。
この日は午前中に実家の母親に来てもらい、娘をアパートで見ていてもらいました。
3時半に受付を済ませ、前回同様胚培養士から移植胚についての説明を受けました。
無事に融解し、アシステッドハッチングも行い、良好だとのことでした。
2回目の移植なので自動的に2個戻すものだとばかり思っていたのですが、今回戻すのは1個ですと言われ、思わず身を乗り出してしまいました(゜Д゜)
胚培養士によると、2個戻すのは夫婦の強い要望がある場合のみだそうです。(早く言ってくれよ~)
こればかりは、ドクターとのコミュニケーション不足が原因だと自分でもよく分かっています(-_-;)
質問1つすることがストレスになるくらい相性が合わなかったドクターだったので、すべてをクリニック側に任せきってしまい、疑問に思うことがあっても、
「これはきっとこういうことだろう」
と自分の中で都合よく合点するクセが付いてしまっていました。
夫も午後から休みを取って、隣で一緒に説明を聞いていたのですが、あとから、
「ちゃんと自分の考えを伝えなくちゃ駄目だって」
と言われ、返す言葉もありませんでした。
という訳で、戻しはランクABという良好胚1個のみということになりました。
1個で大丈夫だろうか…という大きな不安を抱えながら、私は手術台へと向かいました。
4時半、前回同様膀胱に生理食塩水を注入され、戻しが始まりました。
1回目の時よりも膀胱の痛みが強く、なぜか前回はあった毛布をかけてもらえなかったため、移植が終わって待機している30分間、寒さに堪えて過ごしました。
なんとなく不安の残る移植となりました(-_-;)
不正出血の悪夢再び
移植から1週間後のことです。
トイレで用をたした後、私は拭き取ったトイレットペーパーを見て激しい脱力感に見舞われました。
ピンク色の液体が付着しているのです。
また前回の悪夢がよみがえってきました。
でも前回は移植後3日目の出血だったし、今回は1週間経っているから、あの時とは状況が違うかもしれない。
これはきっと着床出血だ❗
そう自分に言い聞かせましたが、出血の色やトイレ後という状況などが前回と似通っています。
不安で不安で何もやる気が起きませんでした。
しかもその後、激しい下腹部痛が襲ってきました。
右の卵巣付近が特に痛かったことを覚えています。
最悪なことには、移植後に処方されていた抗生物質のせいで、おなじみのカンジダ菌のご登場です(゜Д゜)
この精神状態の時に出てくるなよぉ~!
と言いたいところですが、ここまで来ると、そう言ってもきっと来るよな…とある程度の覚悟は出来ていました(^^;)
カンジダの激しいかゆみのせいで夜は眠れず、腹の鈍痛は相変わらず続き、最初の不正出血から4日後には茶色のおりものがありました。
そして翌日の朝方、子宮収縮でも起きていたのでしょうか。
40分近く腹部が激痛に襲われました。
あの痛みの原因が何だったのかは分かりませんが、12月28日、妊娠検査の結果は、
陰性(T_T)
こうして、私の2回目の凍結胚移植は終わったのです。
なぜ不正出血は起こるのか
移植後の不正出血を経験した人は結構いるようです。
原因としてあげられるのは、
- 移植時、カテーテルを入れた際に付いた傷によるもの
- ホルモン補充の膣座薬挿入時に付いた傷、炎症によるもの
- ホルモンバランスの乱れによるもの
- 着床出血
などです。
私は長女の時も含め、凍結胚移植を5回やっていますが、この時のような長時間に渡る腹部の激痛は、後にも先にも経験していません。
今となってはあの痛みと陰性判定との因果関係を確かめることは出来ませんが、あの激痛があっての陽性判定はないだろうな、と冷静な部分では思っていました。
もちろん最後の最後まで奇跡は信じていましたけどね…

なかなか授かれない…今までよりも1歩進んだ妊活を。


